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死ななかった日・その2

2019年12月に脛骨・腓骨の開放骨折、大腿骨頸部骨折した人の日記です。
はじめて読む方は「骨折日記はじめに」からどうぞ。

※この日の文章は、2019年12月5日にiPhoneのマイク機能でメモしたのを後で修正したものです(指はしびれでキーを打てなかった。)

目次

病院に到着

救急車で病院に着いても、すぐには手術室行きにはならない。
おそらく変な位置になっている足(骨)を固定する簡易処置が、1番1番、痛かった。早く痛み止めだの、麻酔とかして、とにかく、この今痛いのを何とかして欲しいと思った。

こんな状況でそんな質問

服を脱がないといけないが、私は「痛い痛い!」と叫んでおり、足を動かして脱げるような状態ではない。なので、服を裁断するわけだが、この時、看護師に「どうしますか?切断して本当に大丈夫ですか?」と何度も丁寧に聞かれたのが印象的で。

この状況で、服なんて本当にどうでも良く
「インナーもパンツも全部切っていいです…」と答える。ないエネルギーが更になくなっていく。

親不孝な娘である

ジーンズを切って、怪我した足が現れた時、先生が「わーこれはひどいなー!!」と言っていた。救急外科の先生なんて毎日色んな怪我を見ているだろうに、そんな人が驚くなんていったいどんな足になっているのだ。

そして、身体の内部を調べるためにMRI、CTスキャン、レントゲンを撮る。それぞれの台に乗るのも想像を超える痛さが続く。毎回「いたーーーい!!」と叫んだ。もう、交感神経を使いすぎで自律神経が過去最高に乱れてる。

両親が到着。
手術、麻酔の同意書の代執と、入院の手続きなどをしてもらう。早朝に警察から急に電話がかかってきて、さぞかしびっくりした事だろう。
36歳にもなって、こんな心配をかけてばかりで心から申し訳ない。彼らに喜ぶ事を何もしてない。私は子供の時から不注意で、この風景を何度も見てる。怪我をして、両親が心配な顔をして病室にやってくる図を。

5時間の手術

明け方に事故をしてからだいぶ時間が経過し、手術がスタートしたのは、もう13時頃だった。

手術室に入る時は、こんな最悪な状況にも関わらず「わードラマみたいだな。」と正直興奮してる自分がいた。麻酔師さんから「緊張しますよね、大丈夫ですからね〜」と優しく言われ、酸素マスクをされてから記憶が消えている。

・・・

管だらけのわたし

気がついたらHCU(高度治療室)におり、両親が心配して見ていた。すっごい疲れている身体がここにあった。意識がボヤっとしていて、とにかく眠い。手術は5時間かかったらく、安全な私を確認したら両親はすぐに千葉へ帰った。
こんな長時間待つのはさすがに疲れただろう。

一人になって、身体を改めて確認してみると管にたくさん繋がれていて、びっくりした。

両手両足、胸に、背中に、膀胱に、管という管。
それにしても髪の毛のボサボサさよ…。このタイミングでなぜか唇がガッサガサなのは、結構気になった。

観察のために描いてたら看護師さんに褒められた

指先は、ものすごい痛みだったので、事故後3、4日はこんな感じで手を下ろせなかった。

眠りに入ったと思ったら「血圧と体温測りますね〜」「注射打ちますね〜」と、2時間おきに起こされる。
超絶眠いのに眠れない。江戸時代にそういった拷問あったよなぁ…と思い出した。

急性期病院の看護師は超多忙

一番辛かったのは、手術前後は、水が飲めない。これは本当に辛かった。よく考えたら、今朝、空港で水を飲んでから今まで何も飲んでない。喉から手が出るほど水が飲みたい、、、ナースコールを押す。

私「なんで水をのんじゃいけないんですか?いつ飲めるんですか??」と聞いたら

看護師さん「あれ?もう飲んで大丈夫な時間だと思いますよ。飲みたいですか?」そっか、教えてくれないのねっ!(涙)と思った。水分は点滴で補っているため、患者は口から水を飲まなくても死なないもんね。

吸いのみに水道水を入れてもらい、一回では物足りず、3回くらい繰り返し入れてもらい飲み続けた。ここまで水が旨い…と思ったのは人生で初めて。

それにしても看護師さんというのは、めちゃくちゃ忙しい仕事なのだと今回よくわかった。ほんと、大変な仕事だよ看護師さん。花金の人気居酒屋の店員くらいの感じでずっと走り回っている。特に救急では、看護師に伝えたいことがあるなら患者は自発的に言わないといけない。

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